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ここで一つの仮説を立ててみましょう。
仮説・・・? ゴメンナサイ! 暴説・・・かも知れません。 その仮説とは・・・「葛城皇子と中大兄皇子は別人」ではないかと言うものですが・・・。 やはり、暴説ですか? いや、案外・・・かも!? 661年、斉明天皇が崩御したあと、実は、第一子である「葛城皇子」が慣例通りに天皇に即位したのではないか。 しかし、その7年後の668年(天智7年)、「中大兄皇子たる者」が「葛城天皇」を廃し、「天智天皇」として即位したのではないか。 というものですが・・・。 つまり、中大兄皇子の「摂政」の事実などなかったと。 だとすれば、葛城皇子は? まさか! 中大兄皇子に殺されたってこと? かも知れません。 中大兄皇子が「摂政」だったという7年間。 天皇になることをかたくなに拒んだとされる7年間。 私には、この「7年間」が臭うのです。 実は、この「7年間の謎」に、「白村江(ハクスキノエ)の戦」が大きく関係しているのではないかと思うのですが・・・。 (続く)
by web-gorilla5
| 2006-04-09 21:29
| 中大兄皇子の謎
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